次の話は「日本で貫いた自分」についてです。
メキシコで育った私ですが、両親の強い意向もあり、中学校から、日本で暮らすようになりました。
中高一貫校での寮生活がスタート。
上下関係の厳しい生活でしたが、帰国後もサッカーに情熱を注ぎ、熱い指導者、生涯の恩師に出会います。
先生が示す練習は目的が明確で、「この人についていったら絶対うまくなる」と直感で感じました。
そんな先生の指導で、ぐんぐんと力をつけた私は、いつしか最終ラインのリベロを任されるようになります。
このポジションは、いわば中心的な役割。つまり後方からゲームを組み立て、チームの要となることを求められたのです。
度重なるゲームメイキングの中で、がむしゃらだった自分に、連携やコンビネーションに対する、強い関わりと、責任感が生まれていきました。
仲間に対する信頼と、強い責任感で進める作戦。
この経験が、私のビジネススタイルを決定づけていきました。