最終ラインで

五味が帰国後にサッカーする様子の写真
次の話は「日本で貫いた自分」についてです。 メキシコで育った私ですが、両親の強い意向もあり、中学校から、日本で暮らすようになりました。 中高一貫校での寮生活がスタート。 上下関係の厳しい生活でしたが、帰国後もサッカーに情熱を注ぎ、熱い指導者、生涯の恩師に出会います。 先生が示す練習は目的が明確で、「この人についていったら絶対うまくなる」と直感で感じました。 そんな先生の指導で、ぐんぐんと力をつけた私は、いつしか最終ラインのリベロを任されるようになります。 このポジションは、いわば中心的な役割。つまり後方からゲームを組み立て、チームの要となることを求められたのです。 度重なるゲームメイキングの中で、がむしゃらだった自分に、連携やコンビネーションに対する、強い関わりと、責任感が生まれていきました。 仲間に対する信頼と、強い責任感で進める作戦。 この経験が、私のビジネススタイルを決定づけていきました。

営業への思い

営業時代のイメージ写真
大学を卒業してから新卒で入ったのは、ドイツ車メーカーの広報室でした。 社会人なりたての若者には、決して乗れないような車にも経験だと運転させてもらい、メディア関係者の方々とやりとりする日々は多くの刺激がありました。 しかし、私は広報という、直接ものを売らない仕事では、人生を攻められない。そう感じはじめます。 これから先の人生を、強く切り開くためには、セールス能力を高めなければ。そう思い、私は思い切って、最も厳しそうだった保険営業に転職しました。 ひと月ごとに誰かがやめていくような環境。 厳しいノルマの中で、僕は自分なりの営業スタイルを貫き、型破りな成果を上げ、新人賞も受賞しました。 無理に売るのではなく、誠心誠意ぶつかり、価値ある情報を伝えること。 僕のセールスの基礎は、ここで生まれました。

攻めの心配り

飲食店時代のイメージ写真
その後も外資系にうつり、営業を続けますが、次第に「起業したい」という思いが強くなっていきました。 起業するなら何か・・・そんなことを考えていた矢先、飲食店の立ち上げメンバーをやってほしいと声がかかります。 キッチンとホールの間で、なれない飲食業のマネジメントに奮闘するうち、私はあることを、身をもって経験していきます。 「攻めの心配り」 心配りというと、何か奥ゆかしいイメージがありますが、飲食サービスの激しい現場の中で、瞬時に判断し、激しく攻め込まないと、お客さまに適切なサービスとして提供できない。 プロのサービスは常に「攻め」なのです。 メキシコで日本人として、必死に貫いてきた自分。 その強い闘志は、帰国後も私に、営業や起業の素晴らしい試練と経験を与えてくれたのです。